当院の公衆衛生活動(病気予防や健康増進のためにおこなわれる組織的活動)実績をご紹介します。
※動画を再生するときは音量にご注意ください。
公衆衛生活動実績
当院では公衆衛生活動として「歯科検診(カンボジアの孤児院、幼稚園、1歳6ヶ月検診、老人ホームなど)、産婦人科での母親教室、歯科に関する講演(富山県歯科医師会、岡山西ロータリークラブなど)、歯科治療に関する無料メール&LINE相談やカウンセリング、イベント開催(老人保健施設)」などを行っています。
幼稚園での虫歯予防
平成6年より、近くの幼稚園の学校歯科医をしています。毎年6月の虫歯予防週間にスタッフによる園児への虫歯予防の紙しばい、演劇、歯みがき指導をしています。 また、院長による保護者の方への虫歯予防、きれいな歯並びを得るための話を行います。園児の虫歯は年々減少しています。
妊婦が対象の母親教室
平成4年より、産婦人科の母親教室で「妊婦に対するお口の健康教室」「生まれてくる赤ちゃんのお口の健康教室」を120回ほど開催してきました。妊娠中に虫歯が進行したり、歯肉炎を起こす方が多いため、好評です。また、妊娠中よりお母さんになる方へ赤ちゃんの歯の健康管理を説明し、虫歯ゼロを目指しています。
毎年「いい歯の日」イベント開催
毎年11月8日の「いい歯の日」に近くの老人保健施設、要介護高齢者施設において、いい歯の日イベントを行っています。「食べる楽しみ、いつまでも」を合い言葉に入れ歯の取り扱い方、高齢者の方への口腔ケアを楽しく体操などしながら説明しています。
カンボジアに学校を作ろう!
成田空港結団式へ
朝の8時10分発の空港行き無料バスは、第一ターミナルまで25分も掛かり集合時間に遅れてしまい、バスのなかで出だしから無茶苦茶あせってしまった。
チェックインも荷物の預け入れも遅くなり、あわてて結団式に向かった。結団式の会場に着くと85名の参加者の席が決まっていた。自分の席を探すと何と真ん中!それも渡邉美樹社長の真横であり、幸先の良さを感じる。一人一人が紹介されて行き、私の場面となり、私の名前が呼ばれた。すると、横の渡邊社長が「あー!あなたが中野さんですか?今回はよろしくお願いします!!」といきなり大きな手で握手を求められた。大きな、大きな、手だった。私が女性ならイチコロで参るところだった。危ない!危ない!!一瞬で人をひきつける大きなオーラを感じる。
今回のカンボジア視察ツアーは蓋を開けるとワタミの社員の方を含めて85名の参加者となり正直、私は渡邉美樹社長とツアーの間、1回でも直接口が利けるのかどうか、それすら心配だった。しかしその心配は杞憂と終わった。渡邉美樹社長はその後、なかなか自分から話すチャンスを作れないシャイな私に何度も何度も話しかけてくれた。それが本当にうれしかった。
成田を出発した全日空バンコク行きは順調に飛行した。飛行機の中では、渡邉美樹社長に話しかけるチャレンジの練習として横にたまたま座られた見ず知らずの男性に「バンコクでお仕事ですか?」と声をかける。新しく快適になったバンコクの空港で2時間30分のトランジットを積極的にツアーの参加者に話しかけた私は今回のツアーにはさすがに凄いメンバーが集まっているのを実感した。誰でもが知っている有名旅館の社長!(先日日経○○で特集されていたので顔を覚えていた)、右脳教育の塾を経営されている方、カレーチェーンを全国展開されている方、プロの歌手!経営者の方、それも飲食関係の方が多いように思った。
医療関係者は85名中、歯医者の私一人だった。なるべく人に話しかけて何かを吸収しようと努力する。でも渡邉美樹社長には気軽に声を掛けられない。成田を出発してから、10時間以上過ぎてようやくカンボジアのプノンペンに到着した。
プノンペンはトヨタのランドクルーザーやレクサスが走る、昨年行ったシェムリアップと全く違う街の様相を呈していたが話をよく聞いてみると内情は深刻そうだった。夕食会が終わり、早めに就寝しようと思うが、明日のモーニングコールは朝の4時50分!この時間に起床なんて完全な渡邉美樹タイムだ。ハードな1週間は既に始まっていた。
カンボジア孤児院へ
カンボジア2日目のモーニングコールは朝の4時50分!
昨夜の就寝時間を考えると4時間も寝ていない。渡邉美樹社長は毎朝4時おき!睡眠時間は4時間の渡邉美樹タイムは凡人の私には、ちときつい!早めの朝食を終えて数台のバスに乗り合わせて目的地のポ-サットへ向かった。
指示通り出発前にトイレを済ませた私だが1時間も経過すると突然の尿意に悩まされ、きつい時間を過ごす。トイレがない場所でのトイレ休憩がなければ、正直私は危なかった。今回も幸先の良さを感じる。車は舗装はされているのだが、ガタガタと大きく揺れる国道1号線をひたすら走った。ホテルを出てから2時間30分が経過して、私たちはやっとスクールエイドジャパンが作った孤児院「夢追う子供たちの家」に到着した。
カンボジアの首都プノンペンから車で2時間半も走ると、そこは回りにはほとんど何もない田舎である。そんな場所に私たちが到着して驚いたのは、その場に音楽が流されていて、多くの住民が沿道で私たち一行を、カンボジアと日本の旗を両手に振りながら迎えられたことだった。その数は100名以上!歓迎されている。土地は3ヘクタールほどの広大な土地が無償で提供されていたのだが、その広大な場所に建設された素晴らしい建物に私は目を見張った。首都プノンペンを少し走ると国道1号線には街灯はおろか信号すらなかった。
この孤児院の周りに建っている家はバナナの皮を編んだような粗末なバラック小屋であった。水道も電気もガスももちろん無い!そんな田舎に日本からの寄付で4,000万円以上の費用を掛けて素晴らしい孤児院が作られていた。開園式の式典はカンボジア国王代理の王国のナンバー2の方が来賓で参加された。カンボジア日本大使館の大使も書記官の方も参加されていた。子供たちの素晴らしい挨拶や歌で順調に式典は進んでいった。困惑したことはこの暑さだった。日陰とはいえエアコンがないこの孤児院で昼間は40度近く気温が上昇するカンボジアでの式典は30分を超える頃には体中の毛穴という毛穴から汗が噴出して言った。
そんな暑い中でも式典は順調に進んで、食堂で簡単なランチを私たちが食べていると、子供たちが入ってきて子供たちのランチが始まった。子供たちのランチは私たちのそれとは違って、湯のみ茶碗に卵とお肉?を煮込んだような小さなおかずが1品!後は鍋で炊かれたご飯のみの質素なものであったが、1日の食費を1人1ドル以下で運営していることに加えて、カンボジアではそれでも豪華な贅沢なランチのようだった。
私達日本人は恵まれている。渡邉美樹社長が食堂に入って来られた。私の横に座り、私たちと同じランチを食べ始めた。食べながらもスタッフと打ち合わせが続く。すぐに子供の傍に行って話しかける。彼は1分でもじっとしていない!!時間が少しでもあると、少しでも子供と触れ合い、コミュニケーションを取ろうとされるその姿に驚いた。この人はぶれない!言っていることと、行動していることにぶれが無く、大きな芯が通っている。
ここカンボジア、ポーサットのこの同じ場所で、渡邉美樹社長と同じ空気を吸いながら、同じ光景を見て感動する私は幸せだった。例え横に座られたチャンスに、ほとんど自分から何も話しかけることができなくても、私は幸せだった。しかしその後すぐに私はもっと大きな感動と幸せを感じるのであった。
食事が終わり、私たち日本からの参加者(支援者?)と孤児たちがいっしょに遊べる機会があった。折り紙を折るグループと、サッカーをするグループ、バレーボールをするグループと、椅子取りゲームをするグループに分かれた。私は殺人的な屋外のスポ-ツは避けて、無難に椅子取りゲームに参加した。最初はお互いにぎこちなく笑顔が少なかった両者だが、ゲームが進むに連れて歓声が上がり、笑顔がどんどん増えていった。椅子取りゲームの後はハンカチ落としのような、ゲームになった。
一人の小さな男の子が私の目の前に来て、手を取ってこっちへ来てと体で言った。その男の子に私は認められたような気がして、持つ手が震えるのを感じた。そこからのゲームは子供たちと走り回る過酷なゲームだったが、そのゲームの後である日本人参加者の女性の方がポロリと感想を言った。「ここの子供たちは、若い男性が本気で遊んでくれることが、本当にうれしそうだったね!おそらくお父さんをその人に重ねて見ているんだろうね?」そうだ、この子達は孤児だった。父と母親を病気で失ったり、捨てられた子供しかここにはいないのだった。私の手を引っ張ったその子は私に父親の影を感じたのだろうか?
初めての歯科検診と予防指導
カンボジア3日目の朝、5時10分のモーニングコールで起こされる。
3日目は、私だけ他の参加者と別行動で昨日、開園した孤児院に歯の検診で伺うことになっていた。私が出来る貢献とは?お金以外には、歯のことしかない!そう思った私は渡邉美樹理事長と住田事務局長に熱い手紙を書いて子供たちの歯の検診をお願いした。そして今日が私の中で今回のツアーのメインイベントとなる孤児院での子供たちの歯の検診の日だった。
日本では10年以上も幼稚園の校医をしていて検診にも保健指導にも慣れているつもりの私だったが、カンボジアの田舎、それも孤児の口のなかの検診が果たしてうまくできるのだろうか?子供たちは歯の検診も、虫歯の治療も、今まで受けた経験も一度も無い!
言葉が果たして通じるのであろうか?
虫歯が全くないと私の行為は無駄だろうか?
虫歯があるとどうするのか?
感染対策は?
口を開けてくれないときは?
日本で一つ一つの疑問を1つずつ潰していって当院のスタッフの協力もあって、検診票も完成して、持参してゆく器具も全て準備が整って当日を迎えた。早朝6時すぎに出発した私だけのための専用車はプノンペンを予定通り出発した。
朝6時過ぎのプノンペン市街は、通勤の車とバイクで凄い混雑を呈していた。1台のスーパーカブに5人乗っている。1台のバイクがひくリヤカーに20人が乗っている。 日本では見慣れない光景に、思わず車の窓を開けてビデオカメラを回す。通訳の方が持っていた「日本大使館発行の安全の手引き」を見るまでは!その安全の手引きには、こう書かれていた。
「カンボジア、特にプノンペンは内戦が長期化していたため銃火器が簡単に手に入ります。日本人とわかる行動は避けてください!」「誘拐に合わないために、、、、」「犯罪に巻き込まれないために。。。。」
2時間半で、順調にポーサットの孤児院に到着した。この孤児院の子供たちは午前中学校に出かけるグループと午後学校に出かけるグループに分かれていた。午前中の7名の検診が始まった。もちろんこの孤児院にはエアコンはない!
ここが一番涼しいと言われる中央の外部の屋根つきのホールの下で検診は始まった。しかしそれでも熱いので、日本から持参した長袖の白衣とマスクは息苦しくて付ける事は無理だった。ここにいまいる子供たちは3歳から16歳の31名!親が死別したり、事情があって親が育てられない子供たちが集まっている。
食べることに困っていた子供たちなので、歯磨きの習慣は無いにしても甘い砂糖の入ったお菓子はおそらく食べる機会は無いはずなので虫歯は少ないのではないか想像していた。
まだベトナムなどのように虫歯の洪水の時期は来ていないのでは?しかしそこには大きな現実があった!
歯科検診動画
※動画を再生するときは音量にご注意ください。
歯科検診の結果は?
ここからが歯科検診の本番!私は、カンボジアは貧しい国でまだタイやベトナムと違ってそんなに虫歯はできていないと想像していた。ましてや食うや食わずの生活が続いていた孤児である。虫歯はほとんど無いかもと逆の不安さえも抱いていた。
しかし蓋を開けると、いや口を開けると大きな虫歯の穴が開いている子供が数名いて驚いた。午前のグループの検診が終わり、歯磨き指導の時間となった。この孤児たちは1日に3回歯磨きをするらしい!磨き方もとっても上手である。少しだけ胸を撫で下ろす。
午前中に学校に行っていた子供たちが帰ってきて、11時半からお昼ご飯の時間となった。今日のお昼ご飯のメニューは、シンプルなさつま揚げと白いご飯!私はホテルで用意してもらったランチボックスがあったのだが「ぜひ子供たちと一緒に食べてください!その方が子供たちは喜びます!!」の孤児院の日本人スタッフの一言で、子供たちの中に入り同じ物を頂くことになった。お腹の弱い私なので大丈夫?との不安がよぎるもその場で一緒の食事を断るほど、私は残酷な人間ではなかった。
大人の私一人だけビッグサイズのさつま揚げがお皿に乗って運ばれてきた。傍から見ると、確かに贅沢ではない質素なお昼ご飯だが、子供たちの美味しそうに食べる笑顔は本当に素敵だった。
私もこの場で同じものをいただく幸せを十分に感じた。例えご飯に石つぶが入っていようが私は子供たちと同じものを食べられる幸せを感じていた。我が家は兼業農家だったので、昔は我が家のお米にも、よく石粒が入っていたものだ。懐かしさすら感じる。
しかし同じ釜の飯を食べると子供たちと私の距離はぐっと縮まるもので午後の検診が始まるころには、多くの子供たちが私の体に触れたがった。子供たちは背中から私の体をギュッと抱きしめて、抱きしめ返すといつまでも体を離さなかった。
31名の検診の結果、数名の子供に重篤な虫歯が発見され、数名の子供に軽い歯周炎の症状が見られた。この結果をこれからどうするか?という大きな問題は残るのだが、私は自分なりに熱いカンボジアで31名の歯科検診がきちんと出来たことをうれしく思った。子供たちと深く触れ合えたことをうれしく思った。
検診が終わったころ、渡邉美樹さんが孤児院にやって来られた。孤児たちと一人一人向かって質問をしてその子の背景を探られていた。
ごみの山で両手両足を傷だらけにして、1日中ごみを漁っていた少女。籐のかごを母親から編まされて、両手を籐で傷だらけにしながらも、1日数十円のお金をもらって必死で生活していた少女。一人一人皆が大きな物語を抱えていた。カンボジアには10万人の孤児がいると言われてる。
検診中にも村長さんが一人の孤児を連れてきた。この孤児院の定員は80名である。岡山の歯医者のこの私に出来るカンボジアの子供たちへの社会貢献っていったい何なのだろう?現地で私が数時間とはいえ、子供たちと共に遊んだり、本を読んだ時間は、子供たちに喜んでもらえたと確信している。また歯科検診も自己採点は90点!だって彼ら彼女らにとっては私の歯科検診が生まれて初めての歯科検診だったのだから!!
カンボジア番外編
そこから私たちのグループは日本に帰国するグループとシェムリアップに飛んでアンコールワット等の観光をするグループに分かれた。多くの方が帰国される中、私は渡邉美樹社長がシェムリアップに行かれると聞いて、シェムリアップ行きを選んだ。
その日は、こちらに来てずっと早朝に起床したための、慢性的な睡眠不足と、長時間のバスでの移動で体の疲労、そしてキリングフィールドやゴミの山で精神的な疲労をかなり感じていた。数名の方から「凄く疲れた顔をしているよ!大丈夫?」と声を掛けてもらったのだが、その声を掛けてもらった事実が、私は疲れているんだと言う自己暗示になって余計に体の疲れを感じていた。
プノンペンからシェムリアップに飛んで、ホテルにチェックイン!夕食も順調に食べた。hitomiさんとKさんと共にワインまで飲んだ。シェムリアップで一番の高級ホテルの食事なので安心して飲んで食べた。
“その夜中の3時に突然の胃の痛みで目が覚めた!”
胃が無茶苦茶痛い!キリキリと差し込むような痛みだ。しばらくして下痢が始まり、それも段々水状になっていった。「やばいかもしれない!」ここで私は初めてカンボジアの洗礼を受けた。1時間ほどトイレに篭り、何とか復活してアンコールワットでの日の出を見るために、5時半にフロントに集合した。
その場所には昨日私の横に座られて共にワインをガブガブと飲んだKさんの青白い顔をした姿があった。「中野先生!大丈夫ですか?」「いや、かなり来ています!」「中野先生もですか?私も大変です。」どうやらKさんと私はほとんど同じ症状のようだった。
二人で何に当たったのかを考えるも、グラスワインが変な味がしたのであのワインか?それとも付け合わせまで全て完食したあの生野菜か?どちらにしても他のメンバーが元気な中、私とKさんだけが真っ白な顔で早朝から胃を抑えながら、アンコールワットへと向かうのであった。
「まずいな!アンコールワットにトイレあったかな?」「紙は???」洗面室のティッシュペーパーをありったけバッグに詰め込んだ。果たして私たちの運命は?