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中野浩輔のステキな笑顔

岡山の歯科医師ブログ

なかの歯科クリニックは30年を迎えました。

スタッフから朝のMTGの時に
開院30周年の記念のお花を頂く。

素直に嬉しいし30年前のことを
昨日のように思い出す。

私は30年前にこの地で新たに
歯科医院を開業した。

立地が悪く、近所に数件の歯科医院の建設が
既に決まっていたために、中国銀行さんも
トマト銀行さんも、信用金庫さんも
当院に、いや私に融資をしてくれることは
無かった。

仕方なく金利が高いのだが
ジャパンデンタルローンと言うローン会社から
8000万円のお金を融資してもらい
足りない残りは私の両親と妻の両親からお金を借りた。

それまでは手取りが30万円ほどの
しがない一介の勤務歯科医師だったので
1億近い借金をすることは恐怖でしかなかった。

私に何かあればどうしよう!

開業したのが4月8日
私以外にスタッフが常勤衛生士4名
4月1日から研修に入り、わずか1週間後に
新規で歯科医院をオープンさせた。

開業前夜の4月7日
私は一晩中ひどい吐き気に襲われて
一睡も出来ないで朝を迎えた。

開業の1か月前に場所が悪いからと
近所に2か所誘導看板を挙げたのだが
これに大きなクレームが入った。

県庁だったか保健所だっかた
今では定かではないのだが
当院の看板のクジラのシンボルマークと
電話番号の4618(白い歯)と言う
白い歯にクレームが付いた。

「恐らく同業者の方からのクレームだと
思います。こちらも名前を言われての
クレームには必す対処しないといけないのです。」

私は2か所の看板の修理に泣く泣く
30万円の大金を支払った。

あれから30年が経過した。


本当にアッと言う間の30年だった。

開業1年目は患者数は伸び悩み
ずっと胃が痛かった1年だったのだが
2年目からはご紹介で来られる患者さんが
増えて行き、何とか黒字に転換できた。

当院が一気に患者数が増えたのが
開院10周年記念で始めた歯科医院の
ホームページだった。

これが大当たりした。

今から20年前の当時は岡山県下で
しっかりとした歯科医院のホームページを
作っている歯科医院は数件だった。

そこで私は1年間、診療後はパソコンの前に座って
当院のホームページの原稿を書いて
写真を撮影していった。

自慢ではないが、当院のHPの文章は
全て院長のこの私が書いている。

そのHPが大当たりした。

それまでは既存の患者さんの紹介で来院される
新患の方が100%だったが
HPを作ってからは、HPを見たという方が50%
既存の患者さんのご紹介が50%と
新規の患者さんの数が2倍になった。

最初から予防歯科に力を入れていた
当院は一気に歯科衛生士さんの数が足りなくなり
大幅に増員した。

開業20周年の記念行事の開催は
ハワイのホノルルを予定していた。

私は20名か30名のスタッフを連れて
ハワイに行く準備をしていた。

しかし東北であの震災が起こった。

こんな時期に私たちは記念事業としても
ハワイに行く訳にはいかない。

院長の私の一存で記念事業のために
ストックしていた数百万円の資金を
全て震災関連に寄付させてもらった。

実は開院30周年を祝って私は
30周年の式典を2月のパリで行おうと
企画していた。

なぜ2月なのか?
2月のヨーロッパはツアー代金が安く
一人20万円も出せばパリまで
行けてしまうからだ。

しかしあのコロナがやってきた。

今回はコロナ関連での寄付はしていないのだが
コロナ関連の融資を目いっぱい受けて
当院の借金は溢れかえった。


つくづく運の無い私でもあり当院のスタッフでもある。

しかし、こうやって毎日のように新規の
患者さんが来られて、歯の悩みを伺って
私たちが出来る歯科治療をご提案する。

その日々にこの上ない幸せを感じるのは
私だけでは決してないと思う。

今後は分院を作りスタッフの数も倍増させて
開院40周年に向けて頑張る。

40周年の時、私の年齢は68歳!
記念式典の会場は月にしたい!

GoToMoon!!!

 

岡山のなかの歯科クリニックは本日で開院30周年を迎えました、本当にありがとうございます。

朝の9時前から
コンサルティング会社のPMCさんとの
コンサルティングを受ける。
当院の抱えている問題が
数時間で幾つも改善出来て
本当にうれしく思う。

さすがの中野先生!(院長と同じ名前)
中野の姓に悪い人無し!!!


昼は妻と駅周辺の土地や物件を調査して
その後クリニックに戻り
歯科技工士の採用のため
クリニックの技工室と近所のマンションの
1階にあるケーアンドエーデンタルラボの
写真撮影。

急に勤務医のE先生に「院長おめでとうございます!」と
声を掛けられる。

おめでたいこと!何かあったっけ?
娘の結婚のこと???

「30年周年ですよ!」と言われて
今日の4月8日が、なかの歯科クリニックの
30年目の記念すべき開業記念日だったことを
思い出した。

私も妻も同じだが、新年度で毎年バタバタしていて
4月8日の開院記念日は、ほぼ忘れていて
スタッフにお祝いして貰ってやっと思い出している状況だ。


私と妻は30年前にこの地で新規で歯科医院を開業させた。
開業に先立ち、タオルと歯ブラシを200セット用意して
私と妻はクリニック周辺の人が集まる施設に
飛び込みで営業をして回った。

妻は下の娘が生まれて6か月の状況で
6か月の赤ちゃんを二人の両親に預かって
貰っての門出となった。

急な飛び込みの営業はほとんどのお店で
嫌な顔をされたり、あからさまに
「しっしっ!!」と野良犬のように
手で追いかれされたりしたのだが、それでも
2件ほど大きな収穫もあった。

菅波内科に挨拶に行ったときは
老人介護施設「すこやか苑」での歯科の往診を
依頼された。

やました産婦人科に挨拶に行ったときは
妊婦の母親教室での歯科指導を依頼された。

それは勿論新参者の私に対する
菅波先生と山下先生の愛情に他ならないことは
理解していた。

歯科医師は私1名、常勤の歯科衛生士4名の
体制で30年前に、なかの歯科クリニックは産声を上げた。

最初の1か月はまだ良かった。

近所の方々が「こーちゃんが歯科医院を作るのを
ずっと待っていたんよ!」と私のことを子供のころから
知っている方々が患者として来院して貰えた。

しかし、しかし、ここは周辺の人口が少なすぎた。

暑くなる7月から患者数は減り始め
8月になると新規の患者数は大きく減少した。

新規で開業の場合、保険の収入は3か月後に
振り込まれるために、私が銀行からお借りした
お金はドンドンと減っていった。

ここでは、この立地ではダメかもしれないと
思った私は近くの不動産の会社に
国道180号線沿いの立地の良い物件を
探して貰えませんかとお願いをした。

その話がどこでどう漏れたのか?
数日後にある偉い先生から私の元に
1本の電話がかかってきた。

私はその先生から移転開業は絶対に
○○!と、こっぴどく叱られてしまい
逆にこの場所でするしかないと腹を括った。

それからは逆に歯科治療椅子を増やし
歯科衛生士も増員して、当時は珍しかった
予防歯科に力を入れていった。

私は大学で補綴科に在籍してたのだが
当時の師匠でもある山下教授や予防歯科の
教授から予防歯科の重要性をコンコンと
聞かされていたからだ。

30年前に予防歯科の重要性を述べていた歯科医院は少なく、
「せっかく治療が終わったのに、まだ通わせるんですか?」とか
「どこまで私から儲けようとするんですか?」との
心無い言葉を頂くことはあったのだが
物事の本質を理解されている多くの方には、
この予防歯科が本当に当たった!HITした。

あれから30年が経過した今
治療で来院される方が50%、予防歯科のクリーニングで
来院される方が50%で1日に160名が来院される歯科医院にまで
成長することが出来た。

そんな当院にも大きな問題がある。

遅い時間や土曜日に来院される定期検診を希望される方が
増えすぎてしまって、本来なら3か月ごとや4か月ごとの
定期的なクリーニングをお薦めしている方の予約が
5か月や6か月先になってしまうのだ。

もう1件、歯科医院を作ろうか?

新たなプロジェクトが始まった。

本日の記念日に私は妻に
「せっかくの30年目の記念日なんで
高級なワインで乾杯しよう!」と言った。

 

 

 


そしてコンビニで買ってきたレモン酎ハイで
乾杯した。

 

 

 

 

 

ありがとう! サンキュー 「39」

結婚式が無事に終わりチャペルの前の
テラスに出ての写真撮影

雨が降らなくて本当に良かった。
私と妻は1か月前から結婚式の日の
東京の天気が気が気ではなく、
スマホで天気予報を100回以上チェックした。

娘の結婚式は必ず晴れて欲しい!

天気予報は午前中から曇りだったが
朝から晴天の素晴らしい天気だった。

神様も、お天道様も、娘の
結婚を祝福してくれている。


「午後から天気が崩れて雨になるらしいよ!」
「いや大丈夫!天気が崩れるのは
遅い時間にずれ込むはず!」

私の予感は当たり、披露宴までは雨は降らないで、
午後7時前の披露宴が終わる時間に東京は雨が降り始めた。

しかしこのホテルはスタッフの配置も多く
気配りも半端ではなく、見るからに
仕事が出来そうなスタッフがブライダルで
脇を固めている。

多くの面でホテルのスタッフ対応に感激して
感心する1日となった。

結婚式にも披露宴にも新郎の友人は勿論
妻の友人も全国から忙しい中
嬉しいことに大勢が駆けつけてくれた。

しかし娘の友人は本当に優秀な人が多い。

一番前のテーブルには
誰もが知っているキー局の女性アナウンサー
元ミス東大、医師に歯科医師、元博報堂

娘と同級生の彼女ら彼らは娘より
かなり年収を稼いでいるはずだ。

娘は東京のS大学歯学部出身だが
同級生のメンズはイケメンで
女性は美人ぞろいで驚いた。

私は某地方の岡山大学歯学部出身だが
同級生にこんな背が高くてモデルの
ようなイケメンは一人もいなかった。

娘よ!あなたは本当に素晴らしい友人を持った。
絶対に大切にしなさい。

式は時間通りに順調に進んでいった。

無く気満々だった私は完璧に泣くタイミングを
失っていた。


最後に両家の両親が後ろに立たされて
スポットライトを当てられた。

新婦からの、娘からの手紙を聞かされる時が来た。

私はここぞとばかりに、虎ノ門テラスで買った
ハンカチを手にして目頭に当てて泣くまねをした。

妻には感謝状が渡され、私にはなぜかトロフィーが手渡された。

私は思わず

「取ったどー!」と
無人島生活の彼のように叫んでしまった。

披露宴が終わりお見送りの席で
私は涙に未だに濡れていないハンカチを
手にして、出席者の方のお見送りをした。

 

そのハンカチには「39」

サンキューと書かれていた。

こんなハンカチを前日に仕込んでまで
笑いを取ろうとした父親を
どうぞ許して下さい。

娘よ、あなたは本当に綺麗でした。
そして良い男性を選びました!