15年目のRSK山陽放送の生放送に出演!
木曜日の午前中に
スタッフからのヘルプが出て
急遽、私が診療のサポートへ
普段は他のスタッフに任せっぱなしの
木曜診療。
初めての木曜診療、
出て初めて気が付く木曜日の弱点
本当に出て良かったと思う。
責任者としてTOPとして
私は、もっと、もっと、もっと
頑張らないといけない。
極真空手岡山道場の館長さま、
今日も急に稽古をさぼってしまい、
本当に申し訳ありませんでした。
午前中の診療を無事に終えて
午後はRSK山陽放送のスタジオに移動して
テレビの生放送。
「中野先生は、生放送は緊張しないんですか?」
と社員の方に聞かれる。
「もちろん、緊張します、
緊張するってことは、真面目に本気で
取り組んでいる証拠だと考えています。
私が下手をしたり、放送禁止用語を生放送で口走れば
RSKの社員の誰かの首が飛ぶと思っているので
いつでも真剣に緊張しています。」
………….
私の父親は地元の商業高校を卒業して
山陽新聞社に入社して、定年まで勤めあげた。
父の父親が早く亡くなったために、
父は大学に進学できなかったと聞いている。
私が中学生の時だったか?父親に
「僕も大きくなったら新聞社に入りたい!」
と言ったことがある。
その時の父は、「新聞社は社員数が凄く多い、
また今後の新聞社は流行らない、
お前に薦めることは出来ない!」と真顔で言われた。
「じゃー、テレビ局の山陽放送は?」
「テレビ局に入社出来るのは毎年数名しかいない。
凄く優秀か、強力なコネが無ければ
テレビ局なんて絶対入社は出来ない、あきらめろ!」
と言われて私は医療の世界を目指した。
両親とも高卒で共働きだった我が家は
決して裕福な家庭ではなくて
私は当初から自宅から通える
岡山大学医学部を目指していた。
そんな私が高校時代にニュースで
岡山大学に新設の歯学部が出来ると聞いて
これは神の啓示と信じて
歯学部希望に修正した。
そんな私が今、ここRSK山陽放送の
スタジオに立っている。
運命はほぼ決められているのだろうか
不思議な気持ちに包まれる。
しかし、このスタジオ、以前より
かなり巨大になって、多くのスタッフの
方が仕事をされているのだが
59歳の私より、年長者の方は
一人もいない様子だった。
目の前の2人の女子アナはどう見ても私の娘より若い!
年を重ねるのは本当に早い!
テレビも15年ほど継続して続けている。
周りの方々に感謝します。