陸前高田市
IPOI学会中国、四国合同例会の懇親会
会場設定の係を私一人ですることになった。
ロータリーの例会やインプラント友の会お食事会で
いつもお世話になっている岡山全日空ホテルに
本日お昼に伺うも、その日は大安吉日で
宴会場もレストランの大きな個室も全て埋まっていた。
困って岡山グランヴィアホテルに駆け込むも
午後7時からすぐに利用できる宴会場は
ここでも既に埋まっていた。
どうする私!
大好きな『ワタミ』で、学会合同例会の懇親会は
まずいよな!やっぱり!!
人生2回目となる岩手県はあいにくの冷たい雨!
私たち7名を載せたワンボックスカーは
陸前高田市へと向かった。
「このガソリンスタンドかな?」
運転をされていたM先生がある1軒のGSに入っていった。
中からM先生の患者様でもある社長さんが
出てこられて、私たちを握手で歓迎してくれた。
「あの白いラインまで津波が来た!」
そう言われて私たちははるか上の方を
見上げた。
「えっ!ここってそんなに海に近いの?」
皆が一様に驚いた。
「何もないよ!全てが流されてしまったからな!」
社長がつぶやいた。
そのGSに働く若い男性が私たちを
案内してくれることになった。
その人の先導で陸前高田市の被災地に向かった。
高台には仮設の住宅やお店が並び
被災地が近くなると、多くの大型バスが止まっていて
雨の中、多くのボランティアの方が作業に従事されていた。
ある坂を降りると目の前に広大な大地が広がっていて、
その奥には静かな海が見えてきた。
「ここって?」
「もちろん全て建物が立っていたのだが
全てが流されてしまった。」
所々にガレキが積まれてはいるのだが
広大な更地が延々と続いていた。
私たちは陸前高田市の一本松の前まで
来て車を降りた。
雨がしとしとと降る中、
若い男性が重い口を開いた。
3月11日にこの場で何が起きて
自分が何を経験したのか?
そして、1年以上経過した今、復興が
どこまで進んでいるのか?
朴訥とした話方が私たちの
心により一層響いた。
私たちは、傘もささないでその場でじっと立ち竦んだ。
「あれだけ巨大な津波が来るなんて
100人に一人も想像していなかった!」
「社長がいなければ我々は
皆津波に流されて死んでいた。」
陸前高田市からの帰り道、車内は重い空気に包まれて
誰一人口を開くものはいなかった。
「最近はテレビのニュースでも被災地の現状は
流ないようになりました。」
「しかし、この通り、復興は全く進んでいません!」
「この現状を一人でも多くの人にぜひ伝えて下さい!」
私たちは想像以上の現実を前に
一言も言葉を発することができなかった。