2011そうじゃ吉備路マラソン その2
3年前の24時間100キロ歩行の
翌日はひどい痛みで、立ち上がることすら
できなかった私は、妻に抱き抱えられて
救急で外科を受診する結末になった。
その時に比較すれば、3年経過して
私は3歳年を取ったのだが、体は若返っている??
どちらにしても、頑丈な体に産んでくれた両親に感謝する。
34キロのチェックポイントを4時間で通過しないといけない何て、
私は聞かされていなかった。(後から読んだマラソンの手引書には、
しっかりと記載されていた!)
最後は100m走のように全力でチェックポイントを
通過した私は、その場に倒れこんだ!
私を助け起こしてくれた係員の人に
「この先、チェックポイントはまだあるんですか?」
「ゴールの打ち切りは何時になりますか?」
と矢継ぎ早に聞いた。
結果としてこのポイントが最後のチェックポイントで
ここから8、2キロ余りを1時間30分を掛けて
ゴールまで辿り着けば、完走できると聞いた。
チェックポイントの前には、私と同じ思いの人が大勢いて
「後は、ゆっくりとゴールしよう!」とお互いに励まし合っていた。
「何とか、なるかもしれない!!」
心配していた私の腰痛と膝の痛みは幸いまだ出ていなかったのだが
やはり、まだシューズが小さいかったのか?
左足の小指と中指に私は不調をきたしていた。
水ぶくれ程度ではない、爪が剥がれる前の痛みだった。
24時間100キロ歩行では、私は4枚か5枚の爪をダメにしてしまった。
今回は3枚か4枚か?
とにかく足が痛い!
ここからは半分走り、半分歩くを繰り返した。
沿道には多くの応援者の方がいらして、声援をくれたり
バナナやパンや角砂糖の差し入れをしてくれた。
その応援が凄くうれしかった。
凄く私に力を与えてくれた。
しかし、35キロから先は痛みと辛さの連続だった。
ある場所で差し入れに「塩」を頂いた。
その「塩」を2口舐めた途端、フラッシュバックが私に起こり
家族のことを思い出した瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。
「塩」には何か霊的な力があるのだろうか?
2キロほど泣きながら走った!!
子供たちへの感謝と、妻への感謝と、両親への感謝と
当院のスタッフへの感謝、そして私の足と腰に手をやって
「ありがとう!ありがとう!!」と呟きながら、泣きながら走った。
私の涙が乾くころ、ゴールまで数百メートルの場所で
私は大学の医局の後輩、Y先生が苦痛に顔を歪めながら
歩いているのを発見した。
私は横に行って「ファイト!」と一言彼を励ました。
Y先生は私と共に再び走り出して、一緒にゴールを目指した。
フィニッシュと書かれたゴール前には、岡山大学歯学部サッカー部の
後輩や、マネージャーや、一補綴の医局員の面々が、Y先生や仲間の
到着を待っていた。
そして、Y先生と同時に帰ってきた私を見つけ、
凄く声援を送ってくれた!
「私は満面の笑みでゴールした!!」
タイムは5時間9分38秒!
フルマラソンの順位は1585位!!
タイムと順位は決して良くないのだが
ほとんど練習も運動もしない47歳の私が
生まれて初めてのマラソンで完走したことは
自分として凄くうれしかった!!