ついに瀬戸内海の藻屑に!
今日の往診先で
抜歯を依頼された3本の歯の中の
1本がインプラントとわかり
急遽抜歯を中断した。
今日本全国でインプラント治療が進められる中
20年後の状況を考慮した治療を進めたい。
26年前の夏、
真っ暗な西脇海水浴場に、無事に帰ることが
できた私たちは、その後は無茶なことはしないで
風と真剣に取り組んでいた。
ヨットって、風が吹いている方向へも
45度の角度をつけて、タックと言う方向転換を繰り返すと、
風上へと進んでゆけるのだ。
もし日本の今後、世界経済の大きな流れやうねりに巻き込まれようとも
ヨットのような帆を張れば、風上へと流れに逆らって登ってゆくことが
出来る。
どんな状況でも、決してあきらめないで
どんな強風の中でも、また「なぎ」の無風の状態でも
胸を張って、帆を張ることの重要性を私たちは
ヨットから学んだ。
私たちが共同購入したヨット(ディンギー)は西脇海水浴場の
道路を挟んだ海の家の駐車場にお金を払って置かせてもらっていた。
しかし大の大人2名がいても、その駐車場から
海の水際まで運ぶことは、その重量から、
かなり過酷な運動であった。
そんな理由で私たちはいつからか海水浴場の片隅に、私たちのヨットを
放置にすることが多くなった。
近くに牛窓ヨットハーバーが完成した時は
そこで私たちのヨットも管理してもらうことが、ほぼ決まっていたのだが
年間管理料の関係で結局はあきらめた。
そして2回目の夏が過ぎて、秋がやってきたある日!
ある大きな台風が岡山を直撃した。
牛窓や西脇海岸にも直撃するぞ!と共に遭難した友人Kから
電話が入った。
「ヨットを動かさないとまずい!!」
、
私とKは突風吹きすさぶ中、西脇海水浴場へと向かった。
しかし国道から西脇へと抜ける道は台風の影響で、すべて
進入禁止となっていた。
翌日、岡山地方は昨日の台風の暴風雨が嘘のような
素晴らしいお天気となった。
私とKは、再び車で西脇へと急いだ。
進入禁止はとけて、何とか西脇へと車を走らせることが
できたのだが、道路の崩壊が台風の規模の大きさを示していた。
到る処に穴があいていて、道路にクルーザーが打ち上げられていたのには
本当に驚いた。
西脇海水浴場へとつくと、そこは修羅場と化していた。
山中腹の別荘は何軒も土台から傾いて、崩れかけていた。
海の家も、民家も、かなりやられていた。
砂浜には多くの木材が打ち上げられ悲惨な状態だった。
私たちのヨットは?
トイレの横に、置かれていた私たちのカタマランの姿は
どこにも無かった。
私たちの管理が悪かったために
ともに夏を謳歌した私たちの大きなパートナーであった
カタマラン「シーファルコン」は瀬戸内海の藻屑と化してしまった。
そして私たちの長かった夏も終わった。