27年前に岡山のこの地に歯科医院を開業して それからどうなった?

Written on 2019年4月26日, by 中野 浩輔

27年前、私がこの地で開業して4か月後、
夏場を迎えて急激な患者さんの減少に悩んで
移転を考えて近所の不動産会社に駆け込んだ結果
お偉い歯医者さんから1本の電話が入った。

そして「お前の移転開業は絶対に認めん!」
ときつくお叱りを受けた。

そこで私は腹を括った。

そして、ここはローラー作戦を行おうと
歯ブラシとタオルに「なかの歯科」の名前と
電話番号を入れたものを100本用意した。

そして、近所の飲食店や、病院、老人保健施設
パーマ屋さん、散髪屋さん、スーパー等
人が集まるところをアポ無しで挨拶に回ることにした。

その100軒の挨拶を私と妻の二人で回った。

妻は下の娘が産まれて1歳にもなっていない時だった。

二人の小さな子供をお互いの両親に交互に預けて
私と妻は木曜日の午後と、日曜日は挨拶回りに
奔放した。

ある近くの立ち飲み屋さんに行ったときは
木曜日の昼間からこれだけ多くの人が
酒を飲んでいるんだと正直に驚いた。

その立ち飲み屋も含め、土建屋さん等は怖い人も多く、
忙しいからと追い出されることも多かった。

6年生の大学まで出て、大学病院にいた頃は
「中野先生!中野先生!!」とちやほやされていた私が
本当に世間の厳しさを感じる瞬間だった。

情けなく感じながら、ここで止める訳には
行かないと石に齧りつく気持ちで頑張った。

その時の私には愛する妻と2歳の長男と
乳飲み子の娘がいたからだ。

愛する家族を路頭に迷わせる訳にはいかない。

産婦人科「山下クリニック」の山下先生にご挨拶に
伺えることが出来た。

「何か歯のことでお悩みなことはありませんか?」

「そうだね、ここに入院中の妊婦さんたちが
歯ぐきが貼れたり、歯が痛んで困っている方が多いんだ!」

そして、当時は珍しい産婦人科での妊婦の方を対象とした
「妊婦の方の歯の健康と赤ちゃんの虫歯予防」の母親教室が
開催されることが決まった。

私と妻は山下先生がお産を止めるまでの25年以上
300回に近い回数で母親教室で歯の話をした。


有名なAMDAの代表だった内科「菅波医院」の菅波先生にご挨拶に
伺えることが出来た。

「何か歯のことでお悩みなことはありませんか?」

「そうだね、併設している老人保健施設のすこやか苑で
お年寄りの方が歯が悪い方が多いのだが、足が悪い方が多く
通院できなくて困っているよ!」

そして27年前の当時では岡山では珍しかった
訪問歯科診療に木曜日の午後は妻と二人で行くようになった。

すると山下クリニックでお産された方が
赤ちゃんを連れて、この子を虫歯ゼロにして下さいと
来院されたり、
すこやか苑で私が訪問歯科診療をして
入れ歯を治した家族の方が
おばあちゃんがお世話になったから、こんどは私が!
と続々と来院されるよういになっていった。

そんなこんなで2年目の春には評判が評判を呼んで
多くの患者様が来院させる歯科医院にまで変貌を
とげることになった。

しかし、私個人の失敗はそこでは終わらなかった!!