院長の矯正体験 ファイナル
Xデーまでカウントダウン!
うれしいのか?悲しいのか?
本気で頑張るしかない!!
大学4年生の時に私はアメリカの学校に留学した。
実際は語学研修で1ヶ月間サンフランシスコの
サマースクールに通っただけなのであるが、
私は履歴書にはアメリカ留学と書いている。
学歴詐欺と言われても構わない。
その1ヶ月間のサンフランシスコでの生活は文字通り私を変えた。
1ヶ月間、私はホームステイをした。
ホームステイ先は庭にプールがある家庭で、キッチンのバカでかい冷蔵庫に私は度肝を抜かれた。
階段には家族の写真が所狭く貼られていた。全て大きなスマイルの写真であった。
話を聞くとその家には私と年が近い3人の子供がいたのだが、
3人とも矯正治療を既に済ませていた。
矯正装置が当時ついたままホームステイしていた私に、
そのママは何度も何度もこう言った。
「コースケ!ビッグスマイル!!」「コースケ!ビッグスマイル!!」
このビッグスマイルは私の人生を変えた。
サマースクールは中学校の教室を使って行われていた。
原爆記念日の前日に、中学生に原爆の授業を英語でしてくれと私は頼まれた。
英語に自信はなかったのだが、アメリカの生活で少し活発になっていた私はその話を引き受けることにした。
その授業は、地元の新聞社の取材を受けた。
翌日の新聞の記事には私の大きな大きなビッグスマイルの写真が掲載された。
私の矯正治療は予定の2年6ヶ月から大幅に遅れてしまい、
卒業の時にはビッグスマイルで写真を取る予定の私の
計画は狂ってしまった。
矯正装置がついたままの私の笑顔はビッグスマイルは
ビッグスマイルではあるのだが
ヨシモトの芸人のようなビッグスマイルとなった。
3年間と半年の期間を経ていよいよ長かった私の矯正ライフが
終わりを告げようとしていた。
装置が取れる日が来たのだった。
担当の先生は専門の器具を使ってバチッ!バチッ!!
と装置を外してゆく。
これが結構な振動で痛みさえ感じるも最後のあがきと頑張って堪える。
装置が取れた私に先生は鏡を渡してくれた。
凄い!歯がすべすべする、綺麗になっている!!
感激に浸っている私にその先生は入れ歯のような装置を差し出した。
「はい!このリテーナーを2年間は使ってね!最初は24時間の装着を守るように!」
えーっ!これで終わったんじゃないの?
聞いて無いよー!!(古いギャグのように叫ぶ!!)
そして私の矯正ライフはまだまだ続くのであった。
しかし矯正をすることで本当に私の人生は変わった。
積極的になれた。
大きな笑顔で笑えるようになった。
人前で話す自信がついた。
そして歯科医師を私の一生を捧げる仕事として決断することが出来た。