歯医者の矯正体験その1
私は大学2年生の時に大きな決心をして矯正治療を受けた。
きっかけはある先輩のインストラクターの先生の一言だった。
「お前はその歯並びで歯医者になろうなんて大馬鹿野郎だ!」
「大馬鹿野郎!大馬鹿野郎!!大馬鹿野郎!!!」
その言葉が何度も何度も私の頭の中をこだました。
私は試験で悪い点を取ったり、実習の態度が悪かったのでは決っしてない!
単に歯並びが悪かっただけだ!
それなのに人前で大馬鹿野郎呼ばわりされるなんて。
その時は恨んだその先生の言葉、今となればありがたいアドバイスであったのかもしれない。
なぜなら私は自分で矯正しようとその言葉によって決断ができたからだ。
私の顎は人並みに成長はしたのだが、歯の大きさは人並みよりずば抜けて大きいために、小学生の時に永久歯が生え変わるに連れてドンドンと歯並びが悪くなっていった。
特に前歯2本がとても大きくて前に出ていて、動物のビーバーのような風貌をしていた。
ビーバーと聞くと可愛らしい女性なら愛らしいかもしれないが、男性のビーバーは単なる「ねずみ男」でしかなかった。
ある日曜日、私は小学校の同級生の松岡君と鳥越君と岡山武道館で開催された紙飛行機の大会に参加していた。
歯並びは悪いが、手先は器用だった私は自慢げに紙飛行機を作った。
その場には山陽新聞の記者の方が取材に来られていた。
松岡君と鳥越君と私は出来上がった紙飛行機と共にその新聞記者の方のカメラの写真に収まった。
しかしその1枚の写真が大きな波紋を広げていった。
松岡君も鳥越君も抜群のスマイル!しかし一番前に座っていた私だけが唇の端から大きな前歯が2本にょきっと覗いていた。
だらしない中途半端な笑顔。
父親がその写真を見て一言!
「男なのにみっともない!写真を撮る時は、歯を見せるな!!」
私はその日以来写真を撮影するときは笑わなくなっていった。
見事に笑うことを忘れた私は暗い暗黒の中学時代、高校時代へと突入した。
今沢山のアルバムを振り返って見ても、本当に歯を出して笑っている写真など1枚もない。
それでも中学は陸上部、高校はハンドボール部で自分なりに頑張った。
私が中学生の時に駅伝大会で歴史に残る20人抜き!(抜いたのではない!抜かれたのだ!!)の大恥をかいたのは、今から思うと歯並びが悪すぎて自分の持つ能力が十二分に発揮できなかったと推察している。
(決して私に根性がなかったのではないと今でも信じている。)
高校時代は部活に精を出しながらも色気つく年頃である。
2回好きになった女の子に告白したのだが、2回とも「いいお友達でいましょう!」とあっさりと振られてしまった。
振られても仕方がないような自信の無さが当時の私の顔にはアリアリと出ていたように今であれば思う。