自己開示
歯科助手より歯科衛生士の方が偉いとか
そんなことはどうでも良い!
大切なことは、どれだけ他の人の
お役に立てることか!
歯科医師の仕事も、歯科衛生士の仕事も
歯科助手の仕事も、歯科技工士の仕事も
受付秘書の仕事も、保育士の仕事も
歯科医院でのアルバイトの仕事も
全ての仕事が多くの方のお役に立っている。
これだけは肝に銘じて欲しい!!!
昭和38年3月11日生まれの岡山市の歯科医師の
自己開示をしよう。
私は今から58年前に、S新聞に勤務する父と
当時は自宅で服飾の内職をしていた母の元に
長男として生まれた。
当時の中野家では、鶏を多く飼っていたので
私の赤ん坊の写真は、鶏に囲まれていた。
父の父、私の祖父が早く亡くなっていた関係で
父は経済面で大学に行けなくて
地元の商業高校を卒業後に地元の新聞社に就職した。
母は高梁市に近い総社市の美袋で育ったのだが
内職の後は、岡山でも有名な百貨店の
女性の高級服を売るお店で長い間勤務していた。
共働きの家庭であったために
私は完璧な、おばーちゃん子であった。
小さなときに私のペットは庭で飼われていた
鶏の「ピーちゃん」だった。
その「ピーちゃん」がある日、首を切られ
食卓に上がった日の衝撃を私は今でも忘れはしない。
私は今でも鶏は大好きである。
私たちの体は他の命から出来ている。
両親ともに高卒であった私の実家は
当時は兼業農家でもあった。
忘れもしない大野小学校の社会の授業の日、担任の先生が
「この中で専業農家の人、兼業農家の人手を挙げて!」
の一言に私が勢いよく手を挙げたのだが
誰一人他に手を挙げる人はいなかった。
その日から私のあだ名は「百姓!」になった。
いつの世も、裏切り者、嘘つきは、大勢いる!!
小さなときから体は普通に頑丈でも
メンタルは弱い子供だった私は、
中学、高校とも、試験の前日や大切な重要な日の
前は決まって。深夜まで眠れないでいた。
時計を見て、深夜2時や3時になると
私は決まって2階の自分の部屋から1階の
奥の祖母の部屋に行き、祖母が飲んでいた
精神安定剤を一粒飲んでは就寝した。
今から考えると精神安定剤を飲まないと眠れない位
大変な人生を送った祖母の人生とは?
祖母の人生の辛さ、悲しさは、計り知れない。
所詮、私なんて高卒の両親から生まれた
単なるお調子者の田舎の歯医者に過ぎない。
地元の田舎の国立だからこそ
6年間に及ぶ歯学部にも行けることが出来た。
貧乏では無かったと思うが決して裕福では無かった。