歯医者で金のなる人
レクチャーを受ける。
そのレクチャーが今私が受講している
165万円もの高額なインビザセミナーより
分かりやすいと言う皮肉!
当院のインビザラインは
次のステージに向かう。
元々、私はお金に関しては全くと言っていいほど
無関心、執着の無いタイプだった。
歯科医院で稼いだお金は、全て歯科医院に還元してきた。
自分にも家族にも使わないでいた。
歯科医院を開業して30年間になるが、
うさぎ小屋と呼ばれる小さなお家に
家族4名が肩を寄せ合ってずっと暮らしてきた。
車にもファッションにも時計にも私は全く執着はない。
車は8年越しの電気自動車リーフ、外は傷でボロボロ
ファッションは基本的に服を持っていない。
ユニクロとZARAがあれば世界中どこでも暮らして行ける。
時計はファーウェイのスマートウォッチ、3万円程度
ただ別に私の実家が裕福だった訳では決してない。
私の父親は高卒で地元の新聞社に入社した。
母親も高卒で地元の百貨店の婦人服売り場に
勤務していた。
我が家の外食と言えば、すわき行楽中華そばであり
父か母のボ-ナスが出ると、決まって中華料理を
食べに出かけた。
中野家の年に2回の贅沢だった。
しかし、そんな我が家が特別に貧乏だったわけではなく
1960年代の当時はみな等しく貧しかったので
ごく一般的な日本の地方の中流家庭だったと思う。
しかしそんな裕福で無い我が家でも
1つだけ大きなルールがあった。
それは本だけは幾らでも買って良いというルールだ。
そんな凄いルールがあったのにも関わらず
私は高校まではほとんど本は読まない生活を送っていた。
さすがに高校生になれば我が家の経済状態は
何となく理解できていたので、私立大学も県外の大学も
中野家の経済状態では少し厳しいかもと感じていた。
大学に行くなら地元の岡山大学、それも可能なら
医学部と思っていた。
そんな私がある時にニュースで
岡山大学に新たに歯学部が出来ると聞いて
医学部志望から歯学部志望に転換した。
それが吉だったのか?凶だったのかは
誰にも分らない。
大学に入り、家庭教師や塾の講師など
割の良いアルバイトを掛け持ちしていたので
友人との飲み会やコンパのお金など
お金には困らない生活をしていた。
決して羽振りが良かったと言うほどではないが
同級生の中には、親が医者や歯医者で学生時代から
親の金で高級外車を乗り回しているものもいたが
私は執着心が無いので決して羨ましく
思うことはなかった。
しかし今でも私の金銭感覚は学生時代と
何も変わっていない。
そんな私が何をとち狂ったか
尊敬するテスラのイーロンマスクさんが
15億円のビットコインを買ったニュースを聞いて
私もビットコインを買おうとふと思った。
少しだけお金を投入してビットコインだけでなく
イーサリアムと言う通貨や別の暗号通貨にも
投資をした。
それが上がったり下がったり、いや
下がったり、下がったりで、
妻にも言えない位の大損を出している。
元々、私はお金儲けに関しては全くと言っていいほど
ど素人、才能が無いタイプだったことを改めて実感した。