あの日に帰りたい
ヤフーの検索エンジンから私のブログが
抹消された。
恐るべし!ヤフー!!
これからの検索エンジン対策はブログは不利か?
ヤフ-は私の想像の数年先を走っている。
グーグルは10年先を走っている。
決して追いつけないスピードにドッグイヤーでなくて
何と形容すべきなのか?
今週の月曜日から当院のチームメンバーが増えた。
歯科技工士学校を卒業して臨床検査コースに行っているA君だ。
彼は当院で2ヶ月間、臨床自習を行う。
アルバイトを含めると30名を越す当院のチームメンバーはほとんどが女性!
そのため貴重な男性の加入は大いに歓迎する。
彼が技工室に入ることで技工室は活性化する。
10年以上当院で頑張っている技工士Hさんとダウエルピンと言う技工操作で
私も含めて議論をした。
Hさん曰く「初心に戻らないといけないよね!」
初心と聞いて私は14年前にこの地で歯科医院を開業した日のことを
ふと思い出した。
平成4年4月8日当院が開業した日!
その日は私は希望と不安で一杯だった。
当日の患者数は18名!
そのほとんどが私の親戚であり、友人であり、父親の会社の同僚であった。
新聞チラシを見て普通に予約をいれた方は、飛び込みの方を入れても
8名しかいなかった。
当院のスタッフは歯科医師の私が1名と、歯科衛生士が4名!
合計わずか5名のスタッフで当院は始まった。
5名のスタッフの中にはキャリアのある歯科衛生士が2名含まれていたのだが
それでも18名の患者さんの診療は診療時間をはるかに超過して終わった。
緊張でヘトヘトになりながらも、どこかに大きな達成感を感じていて
このまま急患が何人来ても朝まで仕事ができるとまで
張り切っていたことを昨日のように思い出す。
2日目の患者数は一桁だった。
それでも私は4名のスタッフに「私は患者さんが喜んでいただける歯科医院を作りたい!」
「そのためには私は身を粉にして働く!」と大きな声で宣言したものだ。
しばらくは言葉通り、診療後も日曜日も、私が自宅にいる限り
診療室への電話は必ず取り、例え深夜でも日曜でも急患の方を
受け入れていた。
深夜1時に急患の方が当院に来院されて、どうしても親知らずの抜歯をしたいと
懇願されて、1時間掛けて抜歯をしたこともある。
その方は私に無理を言った。
保険証を当日忘れていて、後日届けると言われていたのだが、
保険証を当院に届けることも、治療費を支払うことも、どちらも決してされなかった。
それでも患者さんに喜んでいただけること!地域の歯科医療に対する
貢献ができていると自負していた。
開業10年目にして、私は当院の電話を、休みの日や深夜に取る事を止めた。
10年間頑張ったので、もういい加減いいだろう!と自分自身に言い聞かせたのだ。
体力的に精神的に限界を感じていて、休息、完全なオフが欲しかったのだ。
そのような14年間を振り返って見て、今の私の姿はどうなのだろう?
確かにスタッフは増えた!治療イスの数も患者さんの数も増加した。
私の仕事量も増加しているのだが、私の仕事に対する熱い思い!情熱は
どうなのか?冷めていないのか??
いつの日でも壁にぶつかったり、うまくいかない事があっても
私はあの日に帰ればいい!
あの日の情熱を思い出せば、どんな困難に遭遇しても
必ず解決できると信じている。
「あの日に帰りたい!」ユーミンの名曲ではないのだが
私は「あの日を忘れないでいたい!!」
希望と不安に満ちた14年前のあの日を!!
「泣きながら-、ちぎっーた写真をーーー!」