岡山大学広報誌「いちょう並木」
金曜日の夜、1月4日に開催された
大安寺高校16期生同窓会の反省会があり、
雨の中、いそいそと私も出かけた。
反省会とは実は名ばかりで、当日参加していなかった
同期の友人も多く集まり、単なる昔の仲間が集まった
飲み会となった。
飲み会は、夜中の3時前まで続いた。
高校の同級生なので、誰もが年は46歳のはず!
決して若くない年齢なのに、なぜこんなに元気なんだ?
高校を卒業して、28年ぶりに話をする友人の姿もあった。
銀行の支店長になった友人、
離婚調停中の友人、
特許を取り、今から世界を変えると豪語している友人、
多くの友人と話して感じたのは、人には皆それぞれの人生があるのだが、人生って楽しいことより、辛いことの方が圧倒的に多いってこと!
深夜まで、楽しいこと、辛いことの話は延々と続いた。
今日の昼休みに、私はある取材を受けた。
その取材とは、岡山大学が発行している広報誌「いちょう並木」の取材だ。
岡山大学のOB、40歳代、代表として、私に取材のオファーが来た。
同窓会の仕事をしていて、全体の岡山大学同窓会の理事もさせてもらっているので、この広報誌「いちょう並木」は私の元に届けられているので、
いつも欠かさず読ませてもらっているのだが、取材を受けるとは感無量である。
取材を前に2枚のFAXを受け取っていた。
それには、取材当日のインタビューの内容が書かれていた。
まずは、岡山大学についての質問
入学動機や在学中の思いで、在学中に一番力を入れて取り組んだことなど。
私は自分の歯に対するコンプレックスと、祖母の入れ歯に関する苦労を
身近で見ていた関係で、歯医者への道、歯学部への道を選んだ。
私が高校生の時に、地元の岡山大学に歯学部が新設された。
そのニュースを聞いた私は、
「これは、何かの縁だ!
天は私に、岡山大学歯学部に入れと言っている!」
何ていつもの様に、勝手な思い込みで、歯学部への道を迷うことなく目指した。
そして、晴れて岡山大学歯学部の2期生として入学した。
在学中、一番一生懸命取り組んだことは、クラブ活動だろう!
岡山大学歯学部は新設の学部のために、私が入学したときは、クラブがまだ無かった。
先輩1名と友人6の計7名で、岡山大学歯学部サッカー部を私たちは立ち上げた。
歯学部サッカー部で、私が一番頑張ったのは、サッカーの試合ではなかった。
私が1年間で1番頑張ったのは、11月の頭に開催される
学園祭「鹿田祭」での、【おかまバー】だ!
サッカー部の部員が全員女装して、ショータイムの時間まで決めて
音楽を掛けて、おかまバーのような、ショーを見せていた。
そんな私たちなので、歯科衛生士学校の謝恩会で、羞恥心を歌ったり
医院の忘年会で「矢島美容室」を踊ることに、私は全く抵抗がない。
「夢は何ですか?」と聞かれた。
私の夢?
「私の夢は、岡山大学の鹿田キャンパスに、大きな体育館を作ることです!」
と私はとっさに答えた。
昔も今も変わらず、鹿田キャンパスは狭い敷地内に、医学部、歯学部、看護師学校等の多くの学生さんが活動しているので、例えば歯学部バスケットボール部は、週のうち、数回しか体育館での練習が出来ないのだ。
3階建ての体育館を作って、1階を医学部、2階を歯学部、3階を看護師学校等で使えば、もっと楽しい学生生活が送れるはず!
ベネッセの福武さんが、東大のキャンパスの中に、講堂を寄付するように
私も60歳になると、岡山大学医学部歯学部のキャンパスの中に、体育館を寄付したい!
そんな夢みたいなことを話した。
(一笑に付されるかもしれないが、夢と聞かれたのでいいだろう)
岡山大学の広報の担当の方は、まっずぐな目をされていた。
私の話を、その目で、どこまでもまっすぐ聞いてくれた。
私は仕事がら、多くの人と話すことが多いので、その人が
どんな人かは、少し話すだけで、ある程度つかむ自信はある。
この人は凄くまっすぐな人だ!こんな人がいるなんて、これからの岡山大学の活躍が本当に楽しみになってきた。