私が愛するお店が、店を閉じました!
木曜日は博多に日帰り!
いつものように1アクション
3ゴールなので忙しい!
ゼミナールもランチも
師匠の歯科医院の見学も
無事に終了!!
暗くなった午後5時の新幹線に
乗り、私は急いで岡山に帰った。
昨日の11月30日で私が
愛していた1件のレストランが
お店を閉じた。
若きオーナーシェフ佐藤シェフが
頑張っていた当院の近所にあった
欧風料理クローチェ!
「あの教会にレストランができているよ!」
数年前の妻の一言で私はクローチェの存在を知った。
食べることが大好きな私は
何回かクローチェに通ううちに
佐藤シェフや家族の方々と仲良くなった。
佐藤シェフが私が大好きな大阪のイタリアン
ポンテベッキオ出身だったことは
私は随分後から教えてもらった。
一時はレストランの横にパン屋さんまで
OPENさせて、料理だけでなくパン作りにも
佐藤シェフは才能を開花させていた。
OHKのテレビに取材されても彼の態度は変わらなく、
いつも一生懸命に私たちに美味しい料理を
提供してくれた。
私は心の籠った料理が大好きであり
クローチェの料理はいつも佐藤シェフの
心が熱く込められていた。
スタッフを何名も連れてゆくことも
もちろん家族で行くことも何度も何度もあった。
しかし、残念なことはあの場所は
あの立地はレストランとして決して
良い場所では無かった。
ランチは流行っていたのだが
ディナーのお客さんの少なさに
私も妻も不安に感じていた。
当院の立地、場所は悪く、同業者の歯医者
の先生からも良く馬鹿にされてきたり
鼻先で笑われてきた。
「良くあんな辺鄙な場所で歯医者やっているな!」
口の悪い同業者からは
「岡山のチベット!」と当院の場所を
揶揄されたこともある。
そんな辺鄙な場所の歯医者の近所の
レストランの立地が良いはずがない。
お酒を飲むためには電車もなくバスもなく
タクシーも呼ばないと来ない!
呼んでもかなり時間がかかる!
そんな場所でも佐藤シェフは
色々なイベントや新しい工夫をしながら
頑張ってきていた。
そんな佐藤シェフと私達家族は
別のレストランで食事をする
家族ぐるみでお付き合いする仲となった。
そんな佐藤シェフから少し前に
1本のメールをもらった。
「11月末で店を閉じます!今まで
本当にありがとうございました。」
すぐにランチで食事に行き
話を聞くと共に私は
クローチェの最後のお客になろうと
そう強く思っていた。
そして、昨日私は仕事があった
博多から急いで岡山に帰り
妻と二人で最後のクローチェに向かった。
お料理は最初の蟹とフルーツトマトの前菜から
始まり、メインの牛肉のお鍋に至るまで
本当に佐藤シェフの心が込められていた
料理で最高に美味しかった。
妻は横でなぜか涙を流していた。
最後は仕事を終えた佐藤シェフとずっと彼を
支えられていたお母さまと私と妻の
4名でテーブルで話をさせてもらった。
私は佐藤シェフにこう話した。