ホーチミンからバンコクへ
今日の日曜日は岡山では成人式の日!
いい加減な父親に家族は愛想を尽かし
私の胃はきりきりと痛む。
胃がきりきりと痛む!!
ホーチミン空港に行く途中に
フランスパンのサンドイッチと
ベトナムアイスコーヒーを飲んだ私の
体に異変が起きたのは、わずか
30分後だった。
空港のトイレに駆け込んだが、胃から下の
内容物はすべて液状化していた。
ホーチミンからバンコクに飛ぶ機内の中でも
何度も何度もトイレに行く。
40分程度のフライトでバンコクに着いた。
年末のバンコクは天気も良く
気温は30度をオーバーしていた。
灼熱のバンコクで私はある年の
元旦の日のことを思い出していた。
私たち家族はある年の大晦日に
タイのプーケットにやってきていた。
高級ホテルだから安心だろうとニューイヤーイブの
パーティで出された生の牡蠣を私は食べてしまった。
その時も30分後に異変は起きた。
その時は本当に辛く立っていることも
できなくて、翌日の元旦にプーケットの
診療所に私は担ぎ込まれた。
プーケットタウンから呼び寄せられた
タイ人の医師は適切な処置を私に施して、
私は体調を回復して予定通り2日後に
日本に戻ることができた。
その時に比べると決して状態はひどくはないのだが
バンコクでのハードなスケジュールが私の
体力を奪っていった。
バンコクでは顔見知りの歯科医師の先生と
食事をしたり、株式会社の病院を見学したり
新たに大開発を行っている不動産を見学したり
精力的に活動をして回った。
バンコクといえば先日の洪水の記憶が新しいのだが
それよりも空港からの高速道路周辺に広がる
ニュータウンの建設ラッシュが私の目を引いた。
学生時代、30年以上前、私がサンフランシスコに
ホームスティしたときに見たあの景色が
オーバーラップしていた。
バンコクの街はこれから総中流時代を
迎えようとしていた。
バンコクの空港に着いたのは午前の10時、
深夜の12時半の便で私は韓国のインチョンに
飛ぶ予定になっていた。
ホテルには宿泊しないバンコクステイは
単なる12時間のトランジットだった。
この体調で深夜便はきつい!
次の目的地は韓国のソウルだ!!