歯医者の涙メシ
遊びから得たものも大きいと思うが
毎日の診療後、もっと歯科の勉強をする
時間を取らないと!
そう思う私だが、溜まっている雑用に
押されて、専門書を開く時間が???
やっぱり美人秘書の助けが必要か?
昨日の羽田ー岡山の全日空線
目の前のスクリーンには
全宮崎県知事の東国原さんの涙メシが
流されていた。
涙メシとは?自分が若い時の思い出のメシ!
苦労した下積み時代、自分を支えてくれたあの記憶に
残るメシ!!
53歳の東国原さんのナンバー!の涙メシは
宮崎の高校の近くのある「うどん」だった。
48歳の歯医者の私の涙メシは何だろう?
空港から帰りの車の中で延々と考えた。
母親が作ってくれた卵かけご飯!
生では危ないからと、いつも火を通しすぎて
卵はボソボソだった卵かけご飯!
祖母が作ってくれた味噌漬けの豚肉のソテー!
これは本当に美味かった!
我が家の焼き肉と言えば、長い間
牛肉では無くて、マトンだった。
ジンギスカン鍋で作るジンギスカン!
私は大好きだった。
しかし、私の今でも記憶に深く残る涙メシは
小学生時代の同級生「藤田君の家でいつも
食べさせてもらっていたトースト!」
これがナンバー!だと思う。
私は小学5年生のとき、同級生のK君のお母様より
英語の授業を受けていた。
K君は、今では岡山の有名病院の内科医師である。
K君のお父様は大学教授だった。
大野小学校からK君の自宅に行く前に
私は必ず一緒に英語を勉強していた藤田君の
お宅にお邪魔して、マーガリンを塗った
厚切りのトーストに、砂糖とミルクをたっぷり入れた
インスタントコーヒーを、ご馳走になっていた。
いつからか、私はこの厚切りのトーストに
有りつくために、嬉々として英語塾に向かっていた。
我が家でもトーストを食べていた記憶があるのだが
藤田家のトーストの厚さは今から考えると
喫茶店のモーニングのトーストの厚さだった。
私は、いつも何かハイカラなものを食べる
気持ちで熱々の厚々のトーストを包ばった。
1年以上、私はかなりの出費を藤田家に
負担させていたと思うと心苦しく思うのだが、
いつも笑顔でトーストを焼いてくれる藤田の母さんは
いま思ってもステキだ。
怠け者の私が小学6年の最後まで英語塾に通えたのも
あのトーストのお陰である。
私が今、歯科医師として日々診療に勤しむことが
出来るのも、あのトーストのお陰かもしれない。
私の今でも記憶に深く残る涙メシナンバー1は
「藤田君の家でいつも食べさせてもらっていた
厚切りのトースト!」
あのころに帰りたいとふと思う!!