箱根駅伝
新年の恒例の箱根駅伝!
今年は山の神の東洋大学の柏原君も
奇跡の復活を果たして頑張ったのだが
早稲田の総合優勝となった。
私は駅伝を見ると必ず涙する。
今回も涙、涙の観戦だった。
私は中学時代、陸上部に所属した。
私が陸上部に所属したのには理由があった。
私は昔から女性にもてたいと強く思っていた。
女性にもてるためには、まずは運動部所属が必須?
しかし、その半面、運動オンチな傾向を、
自分での中のどこかで感じていた。
だから、中学校に入った時、団体戦では
なくて、個人戦の陸上部に所属した。
昔から猪突猛進と言われていた私は
サッカーのトラップやリフティングは
大の苦手だったが、真っすぐに走るだけだったら
結構早くて、運動会ではアンカーを務めることも
多かった。
陸上部の練習は、毎日走るばかりで
つまらなく、顧問の先生の口癖は
「足の筋肉は、3日練習を休むと元に戻る!」
こればかりだった。
ある時に「岡山県中学校駅伝大会」と言う大きな大会に
私たちは出場した。
これは陸上部で唯一の「団体戦」だったのだ。
駅伝のメンバーに選ばれた私のことを
私の両親は凄く喜んでくれて当日も
陸上競技場に応援に来てくれていた。
その駅伝大会には、私たち石井中陸上部以外に
同じ石井中野球部も参加していた。
顧問の先生から「同じ学校の野球部に負けるのは陸上部の恥だ!
絶対に野球部だけには負けるな!!」と発破をかけられた
私たち陸上部のメンバーは、誰があの悲劇の結末を
予想しただろうか?
第1走者の水川君は奇跡の走りを見せて
40チーム中、何と第1位で競技場に帰ってきた。
そのすぐ後ろには石井中野球部の走者が今にも
抜きそうな勢いで迫っていた。
(私は中学時代、短期間だが水川君とフォークデュオの
グループを作っていた。グループ名は【アイドル】
曲目はさだまさしさんのグレープの曲がメイン、
目的は女性にもてるためだった!)
第2走者の私は正直とてもあせった。
駅伝は周りのランナーのスピードに合わせる
駆け引きが必要なのだが、私は一番前を
走らなければならなかったからだ。
すぐ後ろの野球部のエースで女子にも人気の
岡本君にもあせった私は、前半からペース配分を
全く考えない走りをみせて、後半には案の定
バテバテとなり多くの走者に次から次へと抜かれていった。
(私は中学時代、1度だけ喧嘩をしたことがある。
その喧嘩をした相手がこの野球部の岡本君だ。
岡本君のリーチの長い平手打ち一発に
私は一発で戦意喪失、意気消沈した!
喧嘩はものの1分で終了した)
私だけならいいのだが、私はこの岡本君まで
道連れにしてしまい、彼も10名近い選手に
抜かれることになってしまった。
競技場に帰った時は、私は本当にバテバテとなり
スタンドからの陸上部女子の
「こーすけ!こ-すけ!!頑張って!!!」と言う
黄色い声援も全く役に立たなかった。
20人に抜かれた私の記録は、当事岡山県下の
駅伝大会でワースト記録となった。
スコアラーのおじさんが私の元に来て
何度も何度も「1位から、21位で、間違いないよな!」と
確認した。
私は観戦に来ていた両親にも本当に悪いことをした。
自宅に戻った私に一言父親が言った。
「お前、学校で女の子から『こーすけ』って
呼び捨てにされているのか?」
どうやら父は、私が大会で20名に抜かれたことより
女子生徒から「こーすけ」と呼び捨てにされていたことの方が
よりショックだったようだ。