限界を決めない!
日曜日の今日、同窓会県支部の
総会を私は欠席させてもらって、
シロナのスペシャルセミナーに
参加する。
私が同窓会の仕事を休んで
シロナのセミナーに参加した目的は?
その秘密は、近々明らかになる。
土曜日の朝礼、輪読している冊子の内容は
「限界を自分で決めない!」
人間は、自分で自分の限界を決めている。
その限界は決して限界ではなく、
まだまだ無理がきくものだと書かれていた。
その内容を読んだ私に、ある1つの記憶が蘇ってきた。
その記憶とは、私が高校時代の
ハンドボール部での経験(はるかに昔の記憶だ!!)
ハンドボールは、最近では少しメジャーになってきたが
当時はある意味で、地味なスポーツだった。
しかし、地味な割には激しいスポーツで
試合で勝つためには、選手には豊富な運動量が求められていた。
私はレギュラー選手では無く、補欠だったので
試合に出てもフルで出場することはほとんど無く
短時間の出番しかなかった。
しかし、その短時間の出場にも、私はすぐに疲れてしまって、
限界まで走ることを私はすぐに辞めていた。
て言うか、監督に叱られない程度の適当に
帳尻を合わせる動きしかしていなかった。
しかし、レギュラーを務める友人たちは凄かった。
試合が終わるまで、本当にぶっ倒れるまで動き回り、
試合が終わりホイッスルが鳴ると、その場で
倒れて動けないものまでいた。
いつも、いつも、私はなんでそこまで頑張れるのか?
彼らの動きに感嘆していた。
「こいつら、すっげっーなー!!」
インターハイの予選だったか?国体の予選だったか??
大きな節目の試合で、私たちは水島工業高校に
僅差で敗れてしまった。
その時にキャプテンだったSは、試合が終わるまで
走り続け、試合が終わって負けが確定すると
その場で動けなくなった。
Sは、監督や後輩に肩を抱きかかえながら
コートから担ぎ出された。
Sは大泣きしていた。
「このSには、一生私は勝てない!」とその場で思った。
私は中学の陸上部の時も、高校のハンドボール部の時も
大学のサッカー部の時も(こう書くと、私がいかにいい加減に
スポーツを捉えているかわかる!)
本当に自分の限界まで頑張った記憶がほとんど無い。
どんなにしんどい試合でも、試合が終わると
私だけ、ものの3分でケロッとして、
水飲み場までスタスタと歩いて行った。
高校の最後の試合、私は試合後に足を引きづった。
しかし、今だからこそ言えるが
あの動作は、凄く頑張っている友人の前で
恥ずかしく思った私の「フリ」でしかなかった。
私は演技をしたのだ。
今から思えば、私は47年間ずっと、
どうすれば楽に生きられるか?
それだけを考え続けていた。
自分でしんどい思いや辛い思いをしないように、
適当に手を抜いた人生を送ってきたような気がする。
全てにおいて、要領だけは優れている私!!
最小の努力で、最高の結果を常に求めていた私!!!
何か、自分で自分の限界を
決めていたようで凄く恥ずかしい。