遂に恐れていた事態が!
4日目の朝の
モーニングコールは
朝の3時20分!
ほとんど睡眠時間を取らないまま、フロントに集合。
そのまま車でガタガタと真っ暗な道を2時間走って
WFPが給食支援を行っている学校に到着した。
給食支援は朝食のみ、その朝食も朝の6時半から始まるために
午前4時にホテルを出発した。
給食支援は、素晴らしい制度ではあるが、お米と上に掛ける鮭と
野菜の缶詰を煮込んだようなカレーのようなものは
365日全く同じメニューと聞いた。
365日1日1回全く同じ給食なのだ。
WFPでも日本からの支援は多いらしく、缶詰には
日本の国旗が印刷されていた。
カンボジアでは野菜不足なんて言っていられない!
365日同じメニューだが子供たちは美味しそうに美味しそうに食べていた。
給食支援と小学校の授業風景を見学した後は、
現地の児童の家庭訪問となった。
カンボジアはアジアでは最貧国の1つでもあり、貧富の差が激しい国でもある。
その児童の家は日本ではホームレスが住んでいるような
貧しい掘っ立て小屋だった。
訪問した家の現金収入は家族7名で月に1万円!
家には水道も無く、電気もガスもない。
水は雨水を桶に貯めて使い、食事は薪を燃やして作る。
WFPのその家の子供への持ち帰り給食支援で家族7名が
十分食べていける量があると言われる。
世界の8割の人たちはお腹いっぱい
ご飯を食べることが出来ない。
世界の8割の人たちはいつも飢えと戦っているのだ。
これが現実だ。
そしてカンボジアではその厳しい現実を
まざまざと見せ付けられ、私は深い絶望に襲われる。
一度ホテルに戻り、トゥールスレインとキリングフィールドを見学。
ポルポト時代の虐殺の歴史、いや事実をここでもまざまざと見せ付けられる。
目を覆う惨状がそこにあった。
その後、私たちはステイミンチェイと言うゴミの山を見学する。
ここはゴミ棄て場であるが、スラム街に接していて、ゴミ棄て場に行けば
多くのゴミの中で多くの人々がゴミを漁っていた。
小さな子供の姿も見受けられた。
ここで子供たちはお金になるゴミを一日中漁って少しの現金収入を得ると聞いた。
ペットボトルが一番高く売れるらしいが一日の収入は数十円!
アジアで最貧国のカンボジアのその中の最も貧しい現状がそこにあった。
お昼の2時で40度近い炎天下の中、あちこちから煙が上がり、悪臭と
日本では考えられない蝿の多さ!
早くその場を離れたい気持ちを抑えながら現状をしっかりと見つめた。
そこから私たちのグループは日本に帰国するグループと
シェムリアップに飛んでアンコールワット等の観光をするグループに分かれた。
多くの方が帰国されるなか、私は渡邉美樹社長がシェムリアップに行かれると聞いて、シェムリアップ行きを選んだ。
その日は、こちらに来てずっと早朝に起床したための、
慢性的な睡眠不足と、長時間のバスでの移動で体の疲労、
そしてキリングフィールドやゴミの山で精神的な疲労をかなり感じていた。
数名の方から「凄い疲れた顔をしているよ!大丈夫?」と声を掛けてもらったのだが、その声を掛けてもらった事実が、私は疲れているんだと言う自己暗示になって余計に体の疲れを感じていた。
プノンペンからシェムリアップに飛んで、ホテルにチェックイン!
夕食も順調に食べた。
hitomiさんとKさんと共にワインまで飲んだ。
シェムリアップで一番の高級ホテルの食事なので安心して飲んで食べた。
”その夜中の3時に突然の胃の痛みで、
目が覚めた”
胃が無茶苦茶痛い!
キリキリと差し込むような痛みだ。
しばらくして下痢が始まり、それも段々水状になっていった。
「やばいかもしれない!」
ここで私は初めてカンボジアの洗礼を受けた。
1時間ほどトイレに篭り、何とか復活してアンコールワットでの
日の出を見るために、5時半にフロントに集合した。
その場所には昨日私の横に座られて共にワインをガブガブと
飲んだKさんの青白い顔をした姿があった。
「中野先生!大丈夫ですか?」
「いや、かなり来ています!」
「中野先生もですか?私も大変です。」
どうやらKさんと私はほとんど同じ症状のようだった。
二人で何に当たったのかを考えるも、グラスワインが変な味がしたので
あのワインか?それとも付け合わせまで全て完食したあの生野菜か?
どちらにしても他のメンバーが元気ななか、
私とKさんだけが真っ白な顔で早朝から胃を抑えながら、
アンコールワットへと向かうのであった。
「まずいな!アンコールワットにトイレあったかな?」
「紙は???」
洗面室のティッシュペーパーをありったけ
バッグに詰め込んだ。
果たして私たちの運命は?