夢追う子供たちの家
2日目の火曜日のモーニングコールは朝の4時50分!
昨夜の就寝時間を考えると4時間も寝ていない。
渡邉美樹社長は毎朝4時おき!睡眠時間は4時間の
渡邉美樹タイムは凡人の私には、ちときつい!
早めの朝食を終えて数台のバスに乗り合わせて目的地のポ-サットへ向かった。
指示通り出発前にトイレを済ませた私だが1時間も経過すると突然の尿意に悩まされ、きつい時間を過ごす。
トイレがない場所でのトイレ休憩がなければ、正直私は危なかった。
今回も幸先の良さを感じる。
車は舗装はされているのだが、ガタガタと大きく揺れる国道1号線をひたすら走った。
ホテルを出てから2時間30分が経過して、私たちはやっとスクールエイドジャパンが作った孤児院「夢追う子供たちの家」に到着した。
カンボジアの首都プノンペンから車で2時間半も走ると、そこは回りにはほとんど何もない田舎である。
そんな場所に私たちが到着して驚いたのは、その場に音楽が流されていて、多くの住民が沿道で私たち一行を、カンボジアと日本の旗を両手に振りながら迎えられたことだった。
その数は100名以上!
歓迎されている。
土地は3ヘクタールほどの広大な土地が無償で提供されていたのだが、その広大な場所に建設された素晴らしい建物に私は目を見張った。
首都プノンペンを少し走ると国道1号線には街灯はおろか信号すらなかった。
この孤児院の周りに建っている家はバナナの皮を編んだような粗末なバラック小屋であった。水道も電気もガスももちろん無い!
そんな田舎に日本からの寄付で4000万円以上の費用を掛けて素晴らしい孤児院が作られていた。
開園式の式典はカンボジア国王代理の王国のナンバー2の方が来賓で参加された。カンボジア日本大使館の大使も書記官の方も参加されていた。
子供たちの素晴らしい挨拶や歌で順調に式典は進んでいった。
困惑したことはこの暑さだった。
日陰とはいえエアコンがないこの孤児院で昼間は40度近く気温が上昇するカンボジアでの式典は30分を超える頃には体中の毛穴という毛穴から汗が噴出して言った。
そんな暑い中でも式典は順調に進んで、食堂で簡単なランチを私たちが食べていると、子供たちが入ってきて子供たちのランチが始まった。
子供たちのランチは私たちのそれとは違って、湯のみ茶碗に卵とお肉?を煮込んだような小さなおかずが1品!後は鍋で炊かれたご飯のみの質素なものであったが、1日の食費を1人1ドル以下で運営していることに加えて、カンボジアではそれでも豪華な贅沢なランチのようだった。
私達日本人は恵まれている。
渡邉美樹社長が食堂に入って来られた。私の横に座り、私たちと同じランチを食べ始めた。
食べながらもスタッフと打ち合わせが続く。
すぐに子供の傍に行って話しかける。
彼は1分でもじっとしていない!!時間が少しでもあると、少しでも子供と触れ合い、コミュニケーションを取ろうとされるその姿に驚いた。
この人はぶれない!
言っていることと、行動していることにぶれが無く、大きな芯が通っている。
ここカンボジア、ポーサットのこの同じ場所で、渡邉美樹社長と同じ空気を吸いながら、同じ光景を見て感動する私は幸せだった。
例え横に座られたチャンスに、ほとんど自分から何も話しかけることができなくても、私は幸せだった。
しかしその後すぐに私はもっと大きな感動と幸せを感じるのであった。
食事が終わり、私たち日本からの参加者(支援者?)と孤児たちがいっしょに遊べる機会があった。
折り紙を折るグループと、サッカーをするグループ、バレーボールをするグループと、椅子取りゲームをするグループに分かれた。
私は殺人的な屋外のスポ-ツは避けて、無難に椅子取りゲームに参加した。
最初はお互いにぎこちなく笑顔が少なかった両者だが、ゲームが進むに連れて歓声が上がり、笑顔がどんどん増えていった。
椅子取りゲームの後はハンカチ落としのような、ゲームになった。
一人の小さな男の子が私の目の前に来て、手を取ってこっちへ来てと体で言った。
その男の子に私は認められたような気がして、持つ手が震えるのを感じた。
そこからのゲームは子供たちと走り回る過酷なゲームだったが、
そのゲームの後である日本人参加者の女性の方がポロリと感想を言った。
「ここの子供たちは、若い男性が本気で遊んでくれることが、本当にうれしそうだったね!
おそらくお父さんをその人に重ねて見ているんだろうね?」
そうだ、この子達は孤児だった。
父親と母親を病気で失ったり、捨てられた子供しかここにはいないのだった。
私の手を引っ張ったその子は私に父親の影を感じたのだろうか?