私はハワイのすし匠の中澤大将のファンだ!
全てのカード番号を変更しないと
いけない。
どこと、どこに登録していたか?
全く覚えていない!!
無茶苦茶めんどくさい!
誰か助けて???
銀座の仕事の合間に日本橋の三越さんに
移動する。
仲良くさせて頂いている備前焼き作家の
伊勢崎競先生の日本橋三越さんでの
個展を拝見するためだ。
その日は、あの「すし匠」の中澤大将ご夫妻が
個展に来られると聞いていた。
四谷にあったすし匠の中澤大将が
ハワイにお店を出されたのは
何年前だっかだろうか?
伊勢崎先生に予約を取ってもらい
私と妻はハワイのすし匠さんに伺い
私は中澤大将の大ファンになった。
仕事に対する思いも凄いと思ったし
すしの世界で後塵を育てる意識が
私は日本一だと感じた。
中澤大将と私は同学年、同じ年だったのだが
私は大将ほど、後塵の指導に力を入れていなく
恥ずかしく感じた。
しかし、そんな私と中澤大将との間には
痛い思い出があった。
コロナの前のある年、勉強会でハワイ行っていた私は
すし匠さん行く前の前日ハワイのカイムキにある
焼き鳥屋のあんちゃんのお店に来ていた。
あんちゃんのお店は中澤大将に紹介してもらっていた。
あんちゃんのお店はアルコールの販売許可が
得ていないため、アルコールを飲みたい客は
自分からアルコールを持参しないといけない
システムだった。
私は、ABCストアで購入したナパのワインを3本
あんちゃんのお店に持参した。
あんちゃんのお店には
ハワイのセミナーで御一緒されいている
歯科医師先生たちがたまたま来られていた。
私は気前よく2本のワインをその先生方に
振舞い、私たちにはワイン1本しか残っていなかった。
そこで私は中澤大将との会話を、思い出していた。
「あんちゃんのお店ではすし匠のお酒を飲んでください!」
私は酔っ払って中澤大将が2日前に持参した日本酒を
あんちゃんにお願いして、勝手に開けて貰い飲み始めた。
その上に酔っ払った私は、すし匠に電話して
中澤大将を呼び出した上に、
「あんちゃんの店にいるので今から来て下さい!」
と言ったらしい。
その後が人として最低の行為なのだが
私は中澤大将に電話して呼び出した上に
大将のお酒を飲み干して、さっさと
ホテルにタクシーで帰ってしまった。
私が帰ったその後で、中澤大将がお店に来られたと聞いて
私は赤面した。
中澤大将は今度は来年にアメリカ本土で
お店を出される。
私はまたそちらにも行かせて頂きたい。
人間力を私は学びたい!!