なかの歯科の27回目の開院記念日
忘れていた!今日4月8日は
なかの歯科クリニックの開院記念日だった。
朝の朝礼でスタッフ一同より大きな花束を
貰った瞬間にこの大切な記念日を思い出した。
27年前の4月8日に、なかの歯科クリニックは
この地で産声を上げた。
私は岡山大学歯学部を2期生として卒業して
5年後の29歳の春であった。
30歳までに自分の城を持つことが夢であった。
4月1日から新人研修に入り、1週間後の
4月8日にこの地で歯科医院を開業した。
最初は、歯科医師1名、歯科衛生士4名
歯科治療椅子3台と普通の規模で開院した
なかの歯科クリニック!
夢が叶った瞬間だったが
現実は決して甘く無かった。
29歳で私は個人で1億円の借金を
背負うことになった。
歯科医師のその前の1年の私の年収は
わずか500万円であった。
貯金は卒後5年で貯めたお金が1千万位はあった。
しかし、当院の立地が悪いことと、
すぐ近くに数件の歯科医院の開業の予定があったため、
地元のC銀行さんにも、T銀行さんにも
顧問税理士と何度も足を運んでいたのだが
結果として、地銀さんからも、信金さんからも
融資が降りることは無かった。
結果として私はあるローン会社から
高い金利で1億円の融資を受けるしか
選択肢は無かった。
この時点で私はかなり追い込まれていた。
開業当初は、私の親戚、ご近所の方々、同級生、
友人でそこそこは患者数がいた「なかの歯科クリニック」
であったが、開業数か月後の夏場には、パタッと患者さんが
途絶えてしまい、本当に苦しい日々を送ることになった。
1億の借金の中で、運転資金として1千万もの現金を
銀行の口座に置いていたものの、毎月数百万単位で
この運転資金が減って行き、数か月は毎晩のように
悪夢に悩まされていた。
4か月後には、私はこの地で歯科医院は決して成功しないと、
近所の不動産屋さんに駆け込んで、180号線沿いの土地を
歯科医院移転のために探してくれないかとお願いした。
数日後に、あるお偉い歯科医師の先生から
私は直接電話を受けた。
「お前が移転を考えている不動産会社から聞いたぞ!
。。。。。。。。。。そのつもりでいろ!」
その不動産会社は私のために土地を探すことはしないで
私の個人情報を同業者の先生達にリークした。
その時、私は29歳、妻は27歳、上の子供が2歳で
下の子供が産まれたばかりで、私の個人の借金が1億円!!
しかし、その電話で私は腹を括ることが出来た。
この地で来院される全ての患者さんに喜んで頂くしかない!
そしてそれから27年が経過した。
今日は記念日を祝うために
診療後に妻とワインで乾杯をした。
私は27年前に半年で良いから仕事を手伝って
欲しいと妻にお願いをした。
半年が1年、1年が2年と伸び、結局27年間
妻は子育てや家事もしながら、なかの歯科クリニックの
仕事を表からも裏からも支えてくれた。