RSK山陽放送と私
広尾のACCAが岡山の牛窓に移転している??
ACCAの林シェフは髪が短く
托鉢僧のような修行僧のような雰囲気!
これは、すぐに予約を入れないくては!!
ダメだ(涙)!全く電話つながらない!!
先日はRSKテレビ山陽放送の夕方の看板番組
「イブニング5時」の生放送の日
私は有難いことにこのイブニング5時で
6年もレギュラーをさせて頂いている。
今日はRSKラジオ山陽放送の朝の看板番組
「朝マルステーション」の生放送の日
私は有難いことにこの朝マルステーションで
8年もレギュラーをさせて頂てている。
本当にありがたいことだ。
私の父は、マスコミでもテレビやラジオではなくて
新聞関係のの山陽新聞社のOBであり、
私は小さいから山陽新聞社にはよく遊びに出かけたものだ。
山陽新聞社員食堂のカレーライスを私は
10回以上は食べている。
そんな私は小学生の時に
「僕も山陽新聞に入りたい!」と言った記憶がある。
その時の父の返答は
「だめだ!もう新聞の時代ではない!!
これからはテレビの時代だ!!!」
その父の言葉が影響したのかどうか?
私の中学生の時の夢は、RSKテレビ山陽放送に
入社することに変化していった。
「僕は将来RSKテレビに入りたい!」そう言った
私に父はこう答えた。
「無理だ!山陽放送は毎年新入社員は数名しか採用しない!
凄く大きなコネが無ければ、まずは無理だ!!」
しかし、私はあきらめないで
山陽放送、RSKラジオの公開ラジオの収録には
毎週のように友達と自転車で通い、ガラス越しに
ラジオの収録風景を眺めていた。
私が中学生のころはまだラジオ全盛の時代で
深夜放送でも「オールナイトニッポン」
「パックインミュージック」などの名物番組があり
私は受験勉強はラジオを聞きながら深夜していた。
勉強よりもリクエストハガキを書くことを
頑張っていたのかもしれない。
時代は変遷して、私は文系ではなく
理系の道を選択して、医療の分野を目指した。
そんな私がこの年齢で子供の時に夢だった
山陽放送のスタジオに通うことができるなんて??
あきらめなければ夢はいつか絶対叶う!!