知覧特攻平和会館
深夜の1時過ぎにホテルに戻る。
体が疲れていたのでマッサージを頼むと、佐藤健くん似の長い髪の若いイケメンが登場!
イケメンのマッサージは、
強く押すだけのワンパターンで
頼んだことをすぐに後悔した!
小心者で変にデリケートな私は、
自宅以外のホテルでは熟睡できない!
寝付きも悪ければ、朝も必ず早く目が覚める。
モーニングコールはセットするが
必ずモーニングコールの数十分前に目覚める
私の体内時計は酔っていても正確だ。
宿泊したホテルの朝ご飯は
竈で炊いた炊きたてのご飯が「売り」だった。
しかし、前日食べ過ぎた私は全く食欲が湧かないまま
朝食券を無駄にして、ホテルをチェックアウトした。
朝7時半にホテルを出発して
私は知覧町にある特攻平和会館へと車を走らせた。
この特攻平和会館は陸軍の特攻基地があった場所に
建っていて、この地から出撃した航空兵の
遺影や遺言が展示されている。
私は長い間、この特攻平和会館に来たかった。
本当は息子を連れて来たかった。
レンタカーで指宿ハイウエィのくねくね道を
ひたすら走った私は、開館の朝9時の10分前に
特攻平和会館に到着した。
道沿いの多くの石灯籠が何か特殊な気持ちを感じさせる。
開館10分前にも関わらず受付の方は快く
私に入場切符を渡してくれて音声ガイドもセットした。
私は知覧を訪れて、遺影、そして、その人たちが書いた
遺書を読んで行った。
16歳、17歳、22歳、若い人がほとんどだった。
家族に書いた遺書、
地元に残した妻に書いた遺書、
小さな子供たちが読めるようにカタカナで書いた遺書、
その遺書には、お国のため、家族のため、
日本の未来のため、と言う思いと
家族に対する感謝の気持ちが書かれていた。
彼らは、他人のため、お国のためと思って
自らの命を犠牲にした。
私は、溢れる涙を、止めることが出来なかった。
私の子供と同じ年齢の若者が1000名以上
この地で崇高な思いを胸にして散って行った。
そんな現実があるからこそ、私たちは
今の日本でこうやって平和に暮らしている。
家族への思い、そして、本人の気持ちを考えると
私は涙を止めることが出来なかった。
開館してすぐで、ほとんど他に会館に人が
いなくて本当に良かった。
なぜかわからないが私は凄く泣いた。
「私たちは、なぜ生きているのか?」
「私たちが、生きる目的は何か?」
「47歳の私は、これからどんな生き方を
しないといけないのか?」
多くの答えを見つける為に
私はまたこの知覧に舞い戻ることだろう!!