歯医者の幸せ感
3月31日の朝、
今日で二人の歯科医師が
当院を巣立ってゆく!
寂しさを感じながら、それでも
あっという間に1日が過ぎる!
診療後、巣立ってゆく二人と
これから当院で頑張ってゆくスタッフ達との
交流があった。
旅立つ2名を見送るスタッフの目に涙!
巣立ってゆく歯科医師の目にも涙!!
私はこんな歯科医院を作りたかった!
そんな思いが現実に目の前に展開されていることに我を忘れる。
スタッフの成長にそして当院の成長に心から感謝!!
私は院長、歯科医院の代表責任者であるので
いつまでも感傷に慕っている訳にはいかない。
4月1日の診療は、バタバタする中で無事に終わり、胸を撫で下ろす。
新しくチームに入った歯科医師の福田先生は、終礼の時は
かなり疲労困憊の様子だった。
でも大丈夫!初日これほど無難にこなせるのだから
1か月ほどですぐに慣れ、あなたは当院にとって
無くてはならない存在になるはずだ。
バタバタする状況の中、1年前は私は何を考えて
何を行動していたんだろうと昨年の手帳を私は開いた。
私は1冊の手帳で全ての情報の管理を行えるように
自分オリジナルの手帳をつくり、当院のスタッフにも
同じ手帳を渡している。
1年前の今日4月2日のタスクリストには
「なかのしか通信」にカンボジアの記事を書くことと書かれていた。
私は1年と少し前、昨年の3月の終わりにNPO法人スクールエイドジャパンの1人として、カンボジアに8日間行っていた。
私にとっては2回目のカンボジアであった。
1回目はその1年以上前に、カンボジアに学校を作り運営している友人の
案内で彼の学校を案内してもらい、彼のカンボジアの友人宅にお邪魔して
カンボジアの人の生の生活を垣間見た。
私は、1回目のカンボジアで大きなカルチャーショックを受けた。
私の友人の友人のカンボジア人Aさんは、夫が学校の校長先生
奥さまは銀行勤務であり、カンボジアでは少し上のランクの
暮らしをしているはずだった。
彼の家は、鉄製の門に囲まれて、2階建ての素晴らしい家ではあったが
電機は引かれていたものの、水道は家の庭にある井戸から引かれ、
ガスは無く、台所の奥で薪による直火で料理が行われていた。
少し、田舎に行くと、バナナの皮で出来た粗末な家に住んでいる人たちの
住居が沢山あった。
私は、かなり昔の生活にタイムスリップしたような感じを受けた。
「今、現代だよね?」
私たちが、日本で当たり前のように、
水道の水をジャブジャブ使い、ガスをバンバン使い、電気をガンガン使っている。
またスーパーやコンビニに行くと、食べ物が腐るほど大量に置いてある。
私たちは、基本的に食べることや住むことに心配しない!
今の日本人のほとんどはそう言った意味で、贅沢な生活を送っているが、
同じ現代で今、明日の食べ物が確保できないで飢えに震える人が
たくさん存在している。
私が今の自分の立場がいかに恵まれているかを実感した瞬間だった。
それから、特に食べ物には感謝して頂くように心がけている。
基本は粗食で良い!
時々、友達や、スタッフと楽しく美味しいものが
食べることができるなら、最高の幸せだ。
人間は満たされれば満たされるほど、自分の今の恵まれている立場を忘れて、文句や不平を簡単に口にする生き物だと思う。
だからこそ、私はあえて1年に1回はカンボジアやミャンマー等の
アジアの最貧国を訪れて、自分の建ち位置を確認したい。
今日のお昼にちょうど炊飯器のご飯が炊けていた。
炊きたてのご飯は本当に美味しかった。
「美味しいね!美味しいね!!幸せだね!!!」
と言いながら、炊きたてのご飯を私は食べた。