岡山の歯医者のアルバイト熱 その2
岡山大学歯学部に入学しても
私のバイト熱は収まらなかった。
まずは当時浪人していた大安寺高校の友人に誘われて、
当時駅前にあったダイエー系のハンバーガーショップ
24時間営業の「ドムドム」で週に2回夜の11時から
朝の8時までバイトをした。
夜中の2時から3時はお客さんも少なく
掃除タイムではあったのだが
その時間にハンバーガーショップに
来るお客さんは凄く面白かった。
夜のお店の女性やホストみたいな方しか来なかった。
客同士の喧嘩等のいざこざも多かったが
18歳の私にとって人間模様の観察は凄く勉強になった。
しかし完全なる徹夜のアルバイトなので
翌日の授業は私はほとんど寝て過ごした。
アルバイトで本当に稼ぐようになったのは
高校の同級生の岡山大学医学部に進学した
友人から誘われた塾のアルバイトだった。
当時はその塾の講師は岡山大学医学部の現役学生か、
岡山大学歯学部の現役学生のみだった。
この塾の授業は1つのクラスで10名以上の中学生や高校生を
有名大学や医学部歯学部に合格させることが目的だったので
私の高校時代の勉強法とかは凄く参考になるのか?
学生さんには、しっかりと聞いて貰っていた。
もう1つ稼ぐことが出来たアルバイトが
家庭教師だった。
私は全盛期には、週に2回の塾の講師と
週に3回の家庭教師をこなし
毎月15万円から20万円を稼いでいた。
私が18歳から22歳まで家庭教師をしていたのだが
当時の教えられる側の学生さんは15歳から17歳程度で
私と余り年齢は変わらなかった。
私が5年間で教えた10名程度の彼ら彼女らは
その後、どんな人生を送っていたのだろう?
当時の岡山大学歯学部の授業料は格安で
その上に私は自宅から通っていたので
私が出費する生活費はほとんどかからなかった。
私は毎月のアルバイト代をほとんど
洋服代と遊興費に費やしていた。
今思い出すのが私の大学の後輩でO君と言うのだが
当時から株式投資をしていて学生ながら一財産を稼いでいた。
任天堂や他の優良株の投資で
学生ながら高級車に乗っていた。
私も後輩のO君に教えを請いて
当時のアルバイト代を日本の優良株や
アメリカの株式に投資していたなら
凄い財産を築いていたはず。
しかし、私は18歳からずっと
お金に困らない生活を続けていた。
そんな私がお金に困るようになったのは
大学を卒業して歯科医師になってからだった。
続く!